Kumu Hula Biography 


クムフラ
ランディ・カウラナ・チャン

クムフラ、ランディ・カウラナ・チャンは、兄弟・姉妹と共に、自らのクムである母モアナ・チャンの指導のもと、ハワイ文化を学びました。母モアナ・チャンのフラ・ハラウ(スクール)では、彼は主にカネ(男性ダンサー)にフラや他のポリネシアンダンスを教えていました。

1985年、ランディ・チャンは、男性フラの紹介・保持のため、そして男子がフラを踊ることへの固定観念や偏見を打ち破るため、カネ専用のハラウをスタートしました。その後1989年に、ロサンジェルスでのハワイ文化の永続と促進を担うため、最も力強く迫力のあるハラウとして、女性の生徒受け入れを始めました。

フラ指導の歴史としては、まず1981年にOccidental Collegeでハワイアンクラブを対象にフラ指導を開始しました。その後UCLAで同ハワイアンクラブの指導を任されるようになり、数年後本格的にUCLAでのフラ指導を依頼されてから、1995年の辞職に至るまで、その任務を一任されてきました。

ランディ・チャンと彼のハラウは、1990年のLAフェスティバルにおいて、また翌年1991年には、ロサンジェルスのロータス・フェスティバルにおいて独自のフラを披露しました。そして、他のパシフィックアイランドの人々に自分達のハワイ文化に触れ、共有してもらうため、各フェスティバルにフラのパフォーマンスや演出を開催・導入していきました。1992年夏には、パシフィックアイランド・フェスティバルにおいて、ポイ(タロイモを蒸してペースト状にしたハワイのローカルフード)作りの実演を披露したり、翌年〜1996年までこのフェスティバルのオープニング式において、ハワイ代表としてその独特な慣習を紹介してきました。

1995年7月には、パシフィックアイランドやカリフォルニアインディアンのリーダーと共に、カリフォルニア・ロングビーチにてホクレア号と呼ばれる二重船カヌーを招き入れるイベントをコーディネートし、そこで2週間、各パシフィックアイランドによる日替わりのパフォーマンスを主宰した後、サンディエゴへ航海しながら、船員たちのためにフラを披露しました。

1999年と2001年には、テキサス在住の同じくクムフラである実弟のハラウにおいて、ハワイ島ヒロで毎年行われるフラ・コンペティション、メリーモナークに向けて指導・特訓をし、2001年、2006年の大会時には、自らのハラウと合同で出場しました。

2001年11月には、Kulia I Ka Punawaiとして名高い南カリフォルニア・クムフラ協会(ロサンジェルス〜サンディエゴ間にある16ハラウが所属。クムフラ達が自らの知識やパフォーマンスをシェアしている希少なクムフラ協会です)の会長に任命され、2004年には、同協会の初コンサート”He Inoa No Kalakaua”を主宰コーディネートしました。

2006年春には、16人のクムフラが集まって、2001年の同コンサートと2006年に行われた2回目のコンサート”He Lei No Kapiolani”で使われた曲のチャンティング集をレコーディングしました。現在ハワイを始めアメリカ本土、日本でもそのCDが好評発売中です。

1995年、2001年、2002年、2006年、2007年には、カリフォルニア・ロングビーチで毎年開催される、カリフォルニア最大のフラ・コンペティーション「E Hula Mau」に出場し、その独特なパフォーマンスに高い評価を得ました。

2007年春には、カリフォルニア・トーランスにてハラウ単独ホイケ(発表会)を開催し、ダンス・歌・オリ(チャント)を通して、動物のテーマにした特別プログラムを披露しました。そこで披露されたチャントの中には、150年以上パフォーマンスされていないものもありました。

その後PICC(Pacific Island Community Council)のディレクターとして、2007年夏の同協会フェスティバル開催を取りまとめ、ハワイアンヴィレッジプロジェクトを任されています。

2007年10月に、アラカイと共に日本校Kaulana Ka Hale Kula 'O Hawaii Hula Academyを開講しました。



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